こんにちは。九鬼家のダッシュ!!です。

1日空いてしまって、申し訳ありません。
前回のブログをまだお読みでない方は是非、お読み下さい。↓↓

http://kukikenodash.blog.jp/archives/78158113.html


世界ジュニアが終わり、いよいよ沖縄インターハイへ。

世界ジュニアの開催地からバスで空港付近まで移動して一泊。
14時間のフライトで成田空港に到着した後、3時間のトランジットを経て沖縄へ3時間のフライト。
ホテルに到着したのは夜の9時を過ぎていました。
この時、沖縄インターハイ100mの3日前。

翌日は午前にリレーの予選に向けて練習をします。
夕方には先生に治療院に連れっていただき酸素カプセルに入りました。

そして沖縄インターハイ1日目、リレーの予選に出場しました。
沖縄に来てから休息に時間をかけていたので今の状態がどれくらいなのかを心配しましたが、足が張っていて身体が堅い感覚に陥ります。
「とにかくやるしかない!」と焦りを感じながら就寝しました。

100mの当日は朝の散歩で身体の状態を確認することを心がけていましたが、この日は良くないことを再確認したくなかったので身体の状態に目を向けないようにしていました。

この日は強烈な向かい風が吹いていたので「記録よりも勝負になる」と考えながら競技場に向かいます。

予選はなるべく体力を消費しないようにスタートを意識して走りました。

準決勝ではスタートから加速局面を意識して1着でゴールすることだけを考えて走りました。

準決勝が終了した時点で全体3位。
「このままでは負けてしまうんじゃないか…」と考える自分を紛らわすように家族や仲間と話をするのですが、モヤモヤした気持ちは晴れません。

決勝のウォーミングアップでスタートの再確認をしてコールエリアに向かいます。

「2連覇を目指して色々な経験をしながらこの1日に賭けてきたのに、このまますんなりと負けてたまるか」

と思った瞬間。
昨年味わっていた、「勝ちたいと思ったときの緊張感」がでてきます。

以前にも書きましたが、この1年間は、「勝ちたい!」と思って緊張したことがなかったのです。

迎えた決勝レース。




後から思うとびっくりするくらいスタートが遅れます。

ですが、加速局面で前に出ると「絶対に譲らない!」と思いながら強引にレースを進めます。

ゴール寸前、フィニッシュをした際に僅かに前にいることを確認してガッツポーズをしました。

誰もが私が勝てるとは思っていなかった中。
最後は自分自身を信じきれたことが勝てた要因だったと思います。

表彰式で校歌が流れる中、部旗が上がる光景はインターハイ優勝者しか味わえない最高の瞬間でした!

大会4日目に200mがありましたが戦える力が残っておらず予選落ち。
この日800mの同級生が5位入賞で4点を獲得します。

総合優勝には程遠い状況で迎えた大会最終日。

三段跳びで同級生の2人が順当に決勝進出を決めます。

全員で応援した三段跳び決勝では白熱の展開で3・4位のダブル入賞を果たします。すると総合優勝が最終種目のマイルリレーで決定することを聞きます。

埼玉栄高校がマイルリレーで勝つと23点で和歌山北と同点となり優勝種目差で総合優勝、マイルリレーで2位以下の場合、和歌山北の総合優勝でした…

そして、桐蔭学園高校が優勝をした瞬間、和歌山県初の総合優勝となり皆んなで抱き合って喜んだのを覚えています。表彰式では優勝カップに優勝旗とMVPもいただきました。
2年半前に思い描いた想像がこんな形になるとは…


高校編は以上になります。
高校3年間では人生が変わるほどの経験ができて、色々な方に出会うことができました。

こんなに経験ができたのは、顧問の先生から言われて今も大事にしている「みんなに応援される選手になりなさい」という言葉でした。

学校の垣根を超えて県内外の先生から様々な事を学び、時には色んな場所に行かせてもらいました。
次のステップになるように最大のバックアップをしていただけたことに本当に感謝していますし、先生方を心から信用していました。

「インターハイ」が全てではないことはもちろんですが、個人で戦う陸上競技の中で全員が同じ方向を向いて進むことは、学生時代しか味わえないものだと思います。

私が高校時代に大切にしていたのは毎日行った体幹補強でした。
高校の勧誘時に教えていただいた股関節周りの補強3種類を、お盆とお正月、試合日以外は必ず行っていました。

通学時間が長かったので練習を確保するために始めたのですが、3年間毎日毎日行っていたことが強さに繋がったのではないかと考えています。

そして、高校を卒業して早稲田大学へと進みます。

以前Twitterにも書いたのですが、
なぜ早稲田大学にしたのかと言うと、木村さんや江里口さんに憧れを抱いていたこと、「臙脂のW」がめちゃくちゃカッコ良かったこと…だけではありません笑

礒先生との出会いでした。
「彼は10秒1台では走る、0台は彼次第では出ると思っています」という先生の言葉で決めました。

後日談ですが、本当に大学3年生の時には10秒1台では走れました!


〜大学編に続く〜


ですが、次回からは担当が兄になって、また違う話題を届けられると思います。
大学編もお楽しみに。