こんにちは。九鬼家のダッシュ!!です。

小学生の頃のことを書いた、前回のブログをまだのかたは是非、お読み下さい。↓↓

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〜中学時代〜
 小学生時代の経験を活かして、中学校ではすぐに「リレーの選手になれるやろう」と、甘い考えを持って入部しました。
ですが、先輩方との体格の差で全く歯が立たず。。。
3年生の先輩方はすごく大人に見えたのを、よく覚えています。

さらに!
地元の市内(和歌山県有田市)ではぶっちぎりだと思っていたのに、硬式野球クラブに所属していた選手に負けました。
結局、その子には中学2年生の秋まで一度も勝つことができませんでした。

僕たちの周りでは当たり前だったのは、当時県総体に進む支部予選では中学校のグラウンドで行なっていたことです。
100mの直線と、200mのトラックで競技大会を開催していました。
めちゃくちゃコーナーがきつい。。。

直線種目は全てセパレートでしたが、その他のレースは全てオープンレーン。

リレーの時は1走が接触の危険性からシューズ着用でスタブロの使用禁止。
2走以降はスパイクの着用のルールで競走をしていました。
これって、和歌山県だけなんでしょうか??
こんな環境で試合を経験した経験した人はコメントで教えてください。笑

また、200mではUの字に白線を引いて、直線→カーブ→直線というコースです。
スタートからゴールまでオープンレーンでのレースになっていました。
「懐かしー。」と思った人もいるんじゃないでしょうか?

ここまでは、本当に良いところのない、市内の大会でも目立たない成績でした。

そして、僕に転機が訪れたのは中学2年生の秋でした。
中2の夏に行われた県総体では下位入賞しかできなかった僕が、手動計測の大会で自己ベストを1秒近く縮めて優勝したのです(12.6→11.8)。

予選で「力まないように」と思って、ゆっくり走ったら自己ベスト更新。
で、その時先生から走りが変わっていることを褒められたのを覚えています。
「こんな感じで走ったらいいんだ」と思って決勝も走ったら再度自己ベストを更新して優勝しました。

この頃から家族(父と兄)で陸上の話をすることが増え始めたように思います。
ビデオカメラを購入して、親には毎回レースを撮影してもらいました。
それを家のテレビに映して、何度もコマ送りで動作について家族で議論を重ねていました。

兄の研究熱心さに耳を傾け、高校のメニューを聞きながら自分たちでアレンジして。
同級生の跳躍選手と短い距離を繰り返し走っていました。

坂を何本も走ったりハードルや幅跳びをして遊んだりもしていました。
走ったり跳んだりするのは競走しながら勝ち負けにこだわっていたのを覚えています。

アレンジをしなければいけなかった理由は、グラウンドの狭さにありました。
当時中学校のグラウンドの両側を野球部とソフトボール部が使用していて。
その真ん中を境界線にするように斜めに60mの直線を引いて陸上部が使用していました。

更に60mの先には防球ネットで囲われたテニス部の練習場所になっていてとても狭い場所での練習になっていたからです。


〜中学生編ver.2に続く。