九鬼家のダッシュ!!🏃‍♂️🏃‍♂️

2019年03月

こんにちは。九鬼家のダッシュ!!です。

前回は大学1年生の冬季練習について書きました。↓↓

http://kukikenodash.blog.jp/archives/78556119.html

今日は、2年生のシーズン前半のお話です。

帰国して1週間後。

織田記念を迎えます。

標準記録(当時:10秒45)を突破していませんでしたが、出場定員を満たさい場合の繰り上げ出場でレースに出場できることになりました。

2レーンだったので順位は気にせず、冬から取り組んでいることに集中してレースに臨みました。

スタートで飛び出すとどんどん前に進んでいきます。

「先頭で走れてるの?全然全力で走ってないのに?」

と思いながらゴールまで突き進んでいきます。

ついに高校2年生で出した記録を大きく更新して、約3年ぶりに自己新記録(10秒25)を更新しました。

ですが、このレースでもっと進化していたのが山縣選手でした。

ゴールした瞬間、会場のどよめきで速報タイマーを見ると山縣選手が10秒07を記録していたのです。



そして、表彰台を狙った決勝では走り急いで6位で終わります。

ですが、日本選手権の出場・自己新記録更新でやっと高校生の自分を超えられたと実感できた大会となりました。

広島で味わった感覚を確かなものにするために望んだ関東インカレ。

予選、準決勝と危なげなく通過していきますが、国立競技場の強い向かい風に苦戦しました。

迎えた決勝では、

「勝ちたい欲」と「進まない感覚」

で力を使った強引なスタートをしてしまい、飯塚選手に後半追い抜かれて2位で終わります。

この時、準決勝でも飯塚選手に同じような抜かれ方で敗れています。

奈良インターハイ時に思ったことと真逆の事が起こって、自分のレースができなかったことを悔みました。

翌週には4継で優勝。

その翌週には冬合宿で行った砂山に連れっていただき、坂下りで調整していきます。

そして、ロンドン五輪がかかった日本選手権。

初出場に加え、久しぶりに関西でレースに出場できることが嬉しくて。

ただそのテンションだけで大阪入り。

五輪選考には意識もいかず、決勝進出できたらいいや。くらいにしか思ってませんでした。

無知ってすごいなと今書きながら思っています…笑

予選当日。

レースは夜だったので午前中はホテルでゴロゴロしていたのですが、レースをイメージすると身体が熱くなりドキドキします。

レース前のアップではいつも先生からアドバイスをもらっていたのですが。

この日は「今日は直すところがないからそのまま走りなさい」とコメントをもらいます。

そして、雨が降りしきる予選。

「調子が良い時ほど8割の力で走る」ことをイメージしてスタート。

ゆっくり大きく動いているのに進む感覚を覚えながら10秒23の自己新記録。(当時の五輪B標準を突破)

緊張と興奮でダウンをしてもなかなか落ち着かずアイスマッサージをしてもらい実家に帰宅します。



決勝当日。

昨夜一本しか走っていないのに全身筋肉痛で目が覚めます。

親と散歩をしたり、ゆっくり準備しながら大阪に向かいます。

これは毎年の話なんですが.
日本選手権100m決勝はその日の最終種目になることが多くて、アップエリアでは基本的に8人しか練習をしていません。

試合会場から聞こえてくる歓声がこだまするくらい静かで独特の雰囲気の中、アップが進んでいきます。

アップの最中、先生からレース展開について.

「お前はスタートから飛び出せるが隣の江里口選手が20m以降で少し前に出る。前に出られても最後まで並ぶように走れれば最後に何かあるかもしれないな。」と言われます。

迎えた決勝。

夜の長居スタジアムに何万人という観客、緊張が最高潮に達します。

スタートで前に出て60m付近まで先頭で走りますが最後に前に出られて食らいつくようにゴール。

結果は10秒30で2着でした。

先生が言った通りの試合展開、結果になった試合になりました。



続く

九鬼巧

こんにちは。九鬼家のダッシュ!!です。

前回は大学1年生の時に落ちいったスランプについて書きました↓↓

http://kukikenodash.blog.jp/archives/78548495.html

1年生、大学初めての冬季トレーニング。

トレーニンも順調にこなしながら、年末恒例の冬合宿で新感覚を掴みます。

合宿の4日間、競技場には行かずひたすら砂浜と坂を走り込むという日程で行われました。

砂浜で接地の感覚(柔らかく、短く接地するような感覚)を覚えて、坂ではその感覚で走るように繰り返しました。

ミーティングでは、
先生によるデータに基づいた動作解析に関するミニ講義があり、
「支持脚の膝が倒れる」ような動作が重要であることを知り、
速く走る人のメカニズムを知るきっかけになりました。

昼は身体を動かして、夜は頭を使って、本当にハードな合宿でしたが、
これがブレイクのきっかけになったと思います。

そして、最終日には砂山の坂下りに行きました。
これが、すごく急な傾斜の下り坂!!

どんどんスピードが上がっていく中で砂をしっかり捉えないとバランスが崩れてしまいます。

こうして4日間で「股関節を使って走る」感覚を掴んで合宿を終了します。

(砂山は今でも大事な大会前に訪れるほど私にとって重要な練習場となっています。)

年明け後もしつこく、しつこく、しつこく...合宿で得た感覚を繰り返しました。

2月中旬からは春休みに入ったので暖かい昼間に練習ができ始めます。

私の春休みの生活はというと。

集中授業期間以外はグランドと寮の往復で、ほとんど外に出て行かずに過ごしていました…

唯一覚えているのが初めてスマートフォンに変えたことくらいですかね…笑

迎えた大学2年生のシーズン。
東京六大学陸上に出場します。

どれくらいで走れるのか不安で、期待をし過ぎないように望んだことを覚えていますが、
初戦から昨年のシーズンベストで走ることが出来て、冬季の成果が少しずつ現れているように感じました。


その後、Mt.SAC Relays に出場するため、ロサンゼルスに行きます。
大学施設の競技場故にサブトラックはなく、デコボコの芝でウォーミングアップをします。アメリカ代表の選手や日本のトップ選手も出場する有名な大会で準備をするのですが、失態を犯してしまいます。

この大会では数時間前に本部席に向かい、一次コールをしてゼッケンをもらいます。

そして、直前にスタート付近に行くと最終コールが行われるというパターンだったのですが。

一次コールの存在と場所を把握しないままアップを続けて時間切れで出場することができませんでした。

先生やスタッフの方々に申し訳ない気持ちでテントに戻って落胆していたのですが、帯同してくれていた方が大会ディレクターと話をしてくれて、午後のセッションで200mなら出場できると教えてくれて急遽予定にはなかった200mに出場することになります。

1番外のレーンで出場したので、とにかく前半から突っ込んで走った結果、21秒21の自己新記録を更新することができました。(この記録は未だに私の自己記録のまま…)

翌日は持ちタイムが上位の選手のみが出場ができるレースが続くため、出場しないメンバーの私は朝からアウトレットモールで買い物を楽しんで、昼食に吉野家の弁当を人数分注文をして待っていると、「欠場者が出たからこの後出場しますか?」と帯同の方から連絡が入ります。

前日大会ディレクターに、もし欠場者が出れば出場させてほしいと打診はしていたものの可能性は低いと言われていたのでまさかと思ったところに出場のチャンスがきました。
(日本では考えられないですよね笑)

思いがけないチャンスに即答をして、到着後すぐにアップを始めて無事に事前コールを済ませます。

アメリカ代表選手や明らかに強そうな外国人に混じって10秒40で走りました。

日本選手権標準突破と思い、先生方に手を振って喜んでいたら追い風参考で公認記録にはなりませんでした。

ですが、コール漏れから周りの方々に助けていただいて2種目も出場できたことが自信に繋がります。

その後、自己記録を大幅に更新した織田記念のレースに繋がっていきます。

続く

九鬼 巧

こんにちは。九鬼家のダッシュ!!です。

前回から、大学編に移ってます。まだ前回のをお読みで無い人は、ぜひ!!
http://kukikenodash.blog.jp/archives/78540754.html

関東インカレ後。
6月、学生個人選手権に出場しますが200mでは予選落ち。
100mでは10.52(2011年シーズンベスト)6位で大会を終了します。

7月、同期4人で香港遠征に行かせていただきます。
優勝はしましたが全く走れず前半シーズンが終了しました。

夏合宿を経て日本インカレに向けて調整をしていきます。

熊本県開催となった日本インカレ。

今思うと試合に行く感覚がなくて、行き方やどこに泊まるかさえ確認しないまま、「とりあえず試合になればどうにかなるだろう」と斜に構えていたように思います。

全く力を発揮することができず、私は準決勝敗退でしたが兄が決勝進出をします。

全国大会決勝を走る兄を、親とスタンドから観戦しました。

そして、兄は4位入賞!



悔しさもありましたが、兄のレース姿をスタンドから応援するのがすごく久しぶりだったので、ドキドキしながらどこか懐かしい気持ちになったのを覚えています。

結局私はリレーの1点しか貢献できませんでしたが、
早稲田大学は日本インカレでも総合優勝を果たして、前年の出雲駅伝・全日本学生駅伝・箱根駅伝も含めて5冠を達成しました。

日本インカレ後。
早慶戦や早関戦に出場し、4年ぶりの兄弟リレーを楽しみに山口国体へと向かいます。

ようやく練習で良い感覚になってきたのに自分の不注意で国体中に風邪をひいて、予選落ちで終わります。

その後、日本選手権リレーでは4位入賞でシーズンを終えました。

ボロボロのシーズンを過ごしました。
日本選手権リレーの頃には、「もう今年は試合に出たくない」と初めて思いました。

早稲田大学では11月に2〜3週間の解散期間があります。

今までは2週間も練習をしない期間を作ったことがなかったのですが、、、
ボロボロの状態もあり、陸上から離れることを決意してグランドに行きませんでした。

「九鬼は終わった、高校がピークだった」

と周りから思われてるんじゃないかと考えると悔しくなり、でもどうしたらいいかわからない。

思いつきで、自伝本を読んだり、他大学の学生が練習しているの姿を観に行ったりしていました。

特に解決策は見出せずに冬季練習が始まった頃。
ディーンさんに付き合ってもらって練習後にキャンパスの休憩場で相談に乗ってもらいます。

ロンドン五輪を翌年に控え、父の母国であるイギリスに絶対に行く事を公言していた先輩に「戦える身体を作ること」を言われます。

次の日から藁をもすがる思いで、全体練習後にトレーニング室に移動してディーンさんの体幹トレーニングに参加させてもらいました。

今までやったことのない「体操器具」の平行棒・肋木・吊り輪を使って上半身トレーニングを開始しました。

複数種目、セット数の中で「正確に行う」ことを何度も言われ、
できなくなってくると補助をお願いしながら行っていました。

また、棒高跳びの先輩方にも参加させてもらって、綱登りや棒高跳びの専門的補強などを学ばせていただきます。

大学初の冬季練習は「反発のとれる姿勢・動作」をテーマに、先生が出してくれるメニューをこなしていきます。

特に多かったのは、ショートスプリントとロングスプリントの間にジャンプトレーニングを挟んだメニューや、坂練習でした。

(高校時には学校周辺が住宅街だったため坂がなくて一切行っていませんでした)

この頃から、少しずついい感触を掴んできていて、来シーズンへの期待を持つ一方、
「またダメなんじゃないか?」
と不安に思う気持ちがありました。


続く

九鬼 巧

こんにちは。九鬼家のダッシュ!!です。

数日空いてしまって、申し訳ありません。
今日のブログからは、前回の高校編に引き続き!
九鬼巧が、大学生のことを書きたいと思います。

高校卒業後、早稲田大学競走部合宿所に入寮したところから、大学生生活が始まりました。

合宿所では4人部屋、2人部屋、1人部屋に分かれており、ほとんどが4人部屋になっています。
4人部屋の間取りは、真ん中の通路を挟んで2つに分けて、両側の中央にクローゼットを置いて4箇所を作っています。

カーテンもあるので声は筒抜けですがプライベートスペースは保たれています。笑 
ちなみに広さは2畳ほど…シングルベッドと机があるのでほとんどスペースがありませんでした…笑

短距離の三年生、長距離の二年生、同期の部屋メンバーが同部屋でした。

早稲田大学競走部では短長同じ合宿所で生活していて、時期にもよりますが寝食を共にして各種目の垣根が取れるような環境下にいました。今思えば、この環境がとても居心地がよく、チームに溶け込んでいけました。


数日後、ほとんどの同期が揃ったので二年生の先輩方が食事に誘ってくれて、練習後に競走部御用達のうどん店に行きました。

人数が多かったので席が空くのを待って14時半過ぎに入店、メニューを決めていると、突然大きな揺れに襲われて何分も続きます…

3月11日14:46 東日本大地震の日でした。

その後、入学式は中止。

授業日も1ヶ月ほど遅延します。

新生活でなかなかリズムが掴めず、ストレスが溜まっていく中、4月末に出場した東京選手権では惨敗…

対抗戦に向けて調整をする中で、伝統行事を体験することになります。

競走部では、各対抗戦前に「臙脂授与式」を行います。

部長、OB参加のもと対抗戦出場選手が発表されて、ユニホームを持っていない学生は部長から手渡されます。

臙脂ユニホームは各対抗戦で定められた基準を満たさないともらうことができないので、
持っていない学生はマネージャーに返さないといけません。

対抗戦、日本選手権等以外は臙脂ユニホームを着てはいけないというルールがあります。

迎えた関東インカレ。

初の臙脂ユニホーム。憧れていたユニフォームを着れる嬉しさと、緊張が交わった、なんとも言えない感覚を今でも覚えています。

そして、各大学の独特な応援、OBや観客の多さ、高校の試合とは全然違う雰囲気の中で試合に向けて準備をしていきます。

予選は10.55の1着でゴールをします。

調子が上向いていることを確認して、翌日の準決勝も通過します。

決勝では力不足で表彰台に後一歩届かず4位に終わりました。

動画は、関東インカレの決勝です↓↓(5レーン)


100mが終わって、2週目のリレーでは3位でチームに貢献できました。

最終日は応援に回ります。選手席や応援席などでのルールが細かく決められており、付いていくのに必死でした。

早稲田大学は70年ぶりの総合優勝に輝きます。

ごく僅かですが、チームに貢献することができ、チームとして戦うインカレの楽しさを味わうことができました。

続きます。

九鬼 巧

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